私は精神病院で事務員をやっている。

閉鎖病棟を有するような大きな精神病院は、
大抵人里離れた田舎にある。


私の勤める病院もそんなところだ。

私の病院では、
事務員にも宿直業務がある。

その宿直業務で体験した話を書こうと思う。

事務の宿直でやることは、
とても簡単なものだけだ。


一つ目は、
電話がかかるとそれをとり、
担当の部署や病棟につなぐこと。

二つ目は、
決まった時間に病院をまわり、
各部屋の備え付けの金庫を確認すること。

いつもこれだけで仕事が終わる。

この仕事が終われば、
ほとんどの時間は二階の宿直室の布団で寝ていればよく、
後に宿直手当も支払われる。

このように宿直は簡単な仕事だが、
皆、夜中の精神病院の気味の悪さにこの仕事をやりたがらなかった。

だから私は、
小遣い稼ぎによくこの仕事を引き受けていた。

ある私が宿直に入っている日、
真夜中に病棟から電話が入った。

事務員用のPHSがなっている。

病棟の看護師長からだった。

「事務員さん、ちょっと」

「どうしました?」

「患者さんが、
病院の裏山を登っていく懐中電灯の光が見えたって言うんです。
こんな時間に・・・」

「ちょっと待ってください、
窓から見てみますね・・・」

病院のすぐ裏には、小さな山がある。

職員はこれを裏山と呼んでいた。

この山では患者さんがよく首を吊るというので、
あまり心地のよいものではない。

事務室から山を見た。

「何も見えないですね。裏山のどの辺りですかね」

「さぁ。患者さんにしかわからないでしょう?
また変わったことがあったら連絡しますね」

電話を切ると、しばらく裏山を眺めた。

正直、裏山の近くまで行くのは躊躇われた。

やはり光なんて見えない。

患者さんが幻覚でも見たんだろう。

宿直室の電気を消して、布団に入った。

寝ればすぐに朝になる。

面倒ごとには関わりたくなかった。

据え置き型の電話が鳴っている。

病院の外部からの電話だ。

「こちら○○精神病院です」

「あ、あ、あ、あの、○○精神病院ですか。
あ、あの、○○精神病院ですか?」

「ええ、そうですが」

「あ、ああ。良かった。ねぇ、いますか」

「どなたのことをお尋ねでしょうか?」

「田中先生です」

「・・・そのような先生はいませんが。
その先生は医師ですか?」

「医師です。ほら、さっき窓から見ていた。」

嫌な予感がした。

電話線を伸ばし、
受話器をもってゆっくりと窓から裏山をのぞいた。

懐中電灯の光が、
山のふもとの茂みから私の顔を照らした。

「ほら、田中先生?」

受話器を持つ手が震える。

「あの、私は医師ではありませんし、
田中でもありませんよ」

「知っています」