親戚に霊能者と呼ばれている人がいる。
彼女の地元ではそれなりに有名で、本名とは別に、近所の人は彼女のことを「みちか」さんと呼んでいた。なんでも”身近”と”未知か”、”道か”が混ざっていて、本人曰くいい感じなので周りにそう呼ばしているらしい。
今現在北海道のM別におり、45歳である。彼女は、昔東京で不動産会社の事務をしていたのだが、ふとしたきっかけでやめたらしい。
その原因は今でも話してくれない。旦那さんとはその時期別れて、子供も旦那さんが引き取っている。
僕には元々霊感などないし、霊も怖いので「彼女」すなわち「みちかさん」と話すのはあまり好きじゃなかった。初めて話したのは、小学校4年の時、僕が京都に住んでいたときだ。
その時は丁度、家族で父親が昔住んでいた北海道を訪ねていた。「あんた、家の近くにお墓のある公園があるでしょ?」えっ?と僕は思った。
「むやみに拝んだらだめだよ。霊がついてくるからね。
」初対面でいきなりこんなことを言われた。そもそも何故彼女がそんなことを知っているかがわからなかった。
ただ、当時友達の間でほんの一時期、拝むのが流行って、僕も真似していたのは確かだった。両親すら知らない事だ。
それ以来拝むのはやめた。2回目に会ったのは、東京でおじいちゃんの葬式があったときだ。
みちかさんは北海道から葬式に参加するために来ていた。後から知ったのだが、その時はすでに霊能者まがいのことを地元でやっていたらしい。
その時はこう言われた。「あんた苦労するよ。
うん。」「でも、あんたの亡くなったおばあちゃんが、ええ人だからね。
守ってくれてるのが救い。あんたの父親も苦労人だけど、そのおばあちゃん、つまりあんたの父親のお母さんだけど、その力があるから、今は結構幸せにやってるでしょ?」僕のおばあちゃんは、僕が生まれて2,3年後に亡くなった。
おばあちゃんは、僕をとてもかわいがったらしい。それにしても、僕はその時中学一年生だったが、またもや嫌な感じになった。
なんでこんなことをこの人は言うのだろう。そう思っていたのだった。
今振り返ると僕の人生は特別不幸というわけでもないが、とりたてて幸せというわけではなかった。当たっていないわけでもない。
3回目に会ったのは、おじいちゃんの何回忌かの時だ。小さい頃からみちかさんには嫌な感じを受けていた僕は、話さないようにしていたのだが、なんとなく目があって話さなければいけない雰囲気になってしまった。
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