その日、
友達と近所の公園で
待ち合わせをしていた。

CDを何枚か借りる約束だった。

季節は今くらいの冬の時季。


夕方4時過ぎでも
もう薄暗くなりかけだったのを覚えている。

約束の時間より少し早く着いてやることなくて
ベンチに座り携帯いじっていた。

ふと見ると目の前の砂場で
一人の女の子が遊んでいた。


小学校に入るか入らないかくらいか。

妙に昔風の子供、
サザエさんのワカメちゃんみたいな感じで
地味な髪型や服装だった。

あんまりマジマジ見ていたら
周りから変態とかに思われるのも嫌なんで
無理やり携帯の画面を見ていた。
(周りと言っても他に誰もいなかったんだけど)

しばらくして
その女の子が俺に近づいてきた。

てか携帯見てたから
近づいてきたのを見てたわけじゃないけど
気配を感じて顔を上げたら
女の子が俺の前に立っていた。

「ねえ、お兄ちゃん
『さかな』と『みぎ』って書いてなんて読むん?」

「は?」

俺は一瞬なんのことかわからなかった。

「漢字って難しゅうてよう読めんのよ」

とその子は言った。

俺はその女の子の顔をまじまじ見た。

はにわみたいに無表情ていうか
昔風の顔だった。

「それって魚へんに右ってこと?」

俺は聞き返した。

「『へん』てなん?
『さかな』と『みぎ』の漢字のこと聞きよるんよ」

そう言われ
ますます何のことかわからなくなった。

「そんな漢字知らん。」

俺はこの女の子とかかわりたくなかったので
(母親が登場してきて変な風に思われたくなかったので)
その子を突き放すようにきつめの口調で言った。

そうしたら女の子はプイっと後ろを向き
公園の奥にある滑り台のほうへ走っていった。

丁度そのとき友達がやって来て
持ってきたCDを受け取り
そのCDについて何だかんだとしばらく話をしていた。

もういい時間になり
友達と別れ帰ろうとしたとき
さっきの女の子のことを思い出し
公園中を見渡したけどもう誰もいなかった。

家に着き洗面所でうがいをしていたら
姉が入り口から俺をのぞきこみ

「あんた、変なもん連れて帰ったね」

と言ってきた。

3つ年上で
そのころ地元の短大に通っていた姉は
昔から霊感のようなものが強く、
「見える」とか「感じる」とか
子供の頃からよく俺は聞かされていた。

弟の俺は霊感なんてものは全くないし
信じないわけじゃないが興味はなかった。

「はあ?何?連れて帰ったって?」

俺は姉に向かって面倒くさそうに返した。

「あんた、今日変なとこ行っとらん?」

「別に行っとらんわ。何や?変なとこって?」

「まあええわ。とにかく玄関の外に一回出て」

「はあ?」

「はよー出て!」

姉の剣幕に押され
俺は玄関の外に出た。

姉は台所から塩を持ってきて、
玄関先に立っている俺に
2~3度ほど塩を振りかけた。

家の中に入り姉に聞いた。

「ネーちゃん、
俺何を連れて帰っとった?
今の塩でそれは消えたんか?」

「うーん…多分大丈夫と思うわ。
もう何も感じんし。」

「で、さっきは何が見えたんや?」

「見えたわけやないけど、
あんたの周りの空気物凄くよどんどったわ。
私も気分悪うなるし・・・
あんたの顔も妙に青白かったで。」

「何かよーわからんけど、アホらし。」

俺は薄気味悪いのを精一杯隠し、
姉を小馬鹿にするように言ったものの
あの公園の女の子のことを思い出していた。

変わったことと言えば
それくらいのことしか思い浮かばなかった。

まさかな…

憑りつくも何も
別に変わったことでもなかったよな…

魚の漢字がどうこうとか変なことは言ってたけど…。

姉に話すと面倒臭くなりそうな気がして
女の子のことは言わず
俺の中で封印した。

それから数ヶ月たち、
姉は短大を卒業、就職して家を出た。

俺は受験を控え日々の勉強は苦痛だったが
特段かわったこともなく普通に過ごしていた。

そんな俺の体調に異変が起きたのは
確か梅雨の頃からだった。

夜ベッドに入り
横になると咳が止まらない。

最初の頃は10分程度で治まっていたが、
1週間経った頃になると
寝る前1時間くらい咳が続き、
呼吸困難になるくらい苦しんだ。

母親に話し、
近所の病院に行ったが、
特に異常は認められず
咳止めの薬を渡された。

しかし薬を飲んでも一向に咳は治まらず、
夜寝るときだけではなく昼間も咳が出始めていた。

そして横になったときの咳は激しさを増し、
明け方まで喘息のような咳に悩まされ
1日1時間くらいしか眠れなくなっていった。

病院も大きな総合病院に変えたが
そこでも原因はわからず
出された薬は全く効かなかった。

1ヶ月経った頃には
俺の声は森進一のモノマネのような
ガラガラ声になってしまった。

親戚の紹介で
隣県のガンセンターの有名な医師にも診てもらったが
何の効果もなかった。

もう受験勉強どころじゃない。

食欲もなくなり体重も激減した。

学校は夏休みに入り、
姉も俺のことを心配して
早めの盆休みを取り
就職して初めて実家に戻ってきた。

「あんた大変やね。大丈夫?
病院何件も変えても直らんのやて?」

「おう…それよりネーちゃん、
この咳って俺に何か霊みたいなのが憑りついているとかが
原因じゃないんか?」

俺は冗談めかしく聞いてみた。

姉だったら何か見えるかもしれないし、
逆に何かが俺に憑りついてくれてて
それが原因のほうが有難い。

お祓い事をすれば咳は直るわけだから。

俺はそう思い
姉の答えを期待した。

しばらく姉は考え込み

「何も見えんね。
て言うか会社入ってから
あんまりそういうものは感じんようになったんよ。」

と言った後

「でもあんたが言うようにそうかもしれんね。
ちょっと待ってて。ある人に電話してみるから。」

と部屋を出て行った。

しばらくして姉が戻ってきた。

「会社の先輩に連れて行って貰ったバーがあるんよ。
そこのオーナーは結構な年の女の人なんやけど
その人の霊視は凄いって評判なんよ。」

その女性オーナーは毎日店に出るわけじゃないが
姉が初めて店に行ったとき、たまたまその女性オーナーがいて、
姉を一目見て

『あなた鍛えればいい霊能者になれるかもね。
でも今はその力もだんだん弱くなっているけど』

と言ったらしい。

なんでも店の営業とは別に
週1回だけ土曜の昼間に店を開け、
占いて言うか霊視をやっているとのこと。

予約は半年先まで埋まっていて
芸能人とか野球選手や政治家なんかも
見てもらっているらしい。

一例だけど
ある芸能人が1ヶ月間に渡る舞台の成功について占ってもらったとき
講演の中止をその女性オーナーは勧めたが
今さら中止になんかできないってその芸能人は舞台を続けたところ
公演中大きな事故が起きたってこともあったらしい。

姉はその店の常連の会社の先輩に電話を掛け
俺の窮状を訴え予約を頼んだ。

そして、その先輩は
なんとか2週間後の霊視の予約を
その女性オーナーから取り付けてくれた。

俺の父親は『そんなもの』と鼻で笑っていたが
母親はわらをも掴むって感じで大賛成してくれた。

2週間後、
すでに職場に戻っていた姉は
新幹線の駅に俺と付き添いの母親を迎えに来てくれた。

俺の咳の具合は相変わらずで
新幹線の移動も大変だった。

駅からタクシーに乗り
そのバーのある雑居ビルへと向かった。

バーに着き重厚なドアを開けると
カウンターの向こうに
その女性オーナーは座っていて俺を見るなり

「あー、なるほどね。」

と笑いながら言った。

俺がどういう状況なのかは
既に伝わっているようだ。

姉の先輩も来ていたが挨拶もそこそこに
その女性オーナーに俺はカウンターの席に座らされ
タロットカードを切らされた。

そしてカードを伏せたまま
カウンターの上に広げろという。

広げ終わったら
2枚ほどカードを選べと言われた。

死神の絵と天使の絵のカードが現れた記憶があるが
今となってはあまり覚えていない。

しばらくの沈黙のあと
紙に俺の名前と住所
そして部屋の間取りを書かされた。

その女性オーナーは俺を見ながらこう言った。

「あなたが住んでるマンションね、
昔そこの土地は竹やぶだったのよ。
そこに沢山のヘビがいたのね。
でも建物立っちゃったでしょ。
ヘビの死骸が無数に見えるわ。
よくないね、あなたの勉強部屋。
そのマンションで一番悪い位置だわね。」

みんな無言で聞き入っている。

「それとあなたの右肩あたり女の子が憑いているわよ。」

「えつ!」

俺は背筋がゾクっとしたのを覚えている。

あの公園の女の子が俺の頭の中をよぎった。

俺の横に座っていた姉も
ハッとしたような感じになった。

「あなたとよほど波長が合うんだろうね。」

店はBGMもなくシーンと静まり返っている中、
俺の咳だけが響き渡る。

どんな女の子なのか俺は聞きたかったけど
聞く勇気もなかった。

重苦しい空気の中、
姉が口を開いた。

「で、どうすればいんでしょうか?」

女性オーナーはゆっくりとした口調で
姉に向ってこう答えた。

「実はね。
最初のカードを引いたとき
どうしようかと私も焦ったの。
「死」を意味するカードが出たのよ。
あなたの弟さんも寿命がなかったなって。
でも次に引いたこの天使のカードがそれを打ち消してるの。
だから大丈夫。安心して、病気は直るから。
白南天の木をベランダの端に置きなさい。
そして毎朝それに向って手を合わしなさい。
そうすれば大丈夫だから。」

「白南天ですね?わかりました。
・・・あと先生、弟の病気の原因は
その竹やぶのヘビなんでしょうか。
それともその女の子の霊のせいでしょうか。」

姉の質問に

「両方ね。相乗効果ってやつ。
その女の子、昔その竹やぶでよく遊んでいたもの。
女の子のお払いは今からするから。」

そう女性オーナーは言った後、
お祓いを俺に向ってしてくれた。

聞いたことのない呪文かお経のようなお祓いだった。

それが終わり、
女性オーナーにお礼を渡し
俺達は店を後にした。

帰りのタクシーの中、
俺は姉に聞いた。

「さっき先生が子供の話したとき
ネーちゃんハッとしたやろ?」

「うん。
あんたに塩振りかけた日があったやろ。
あんたには言わんやったけど、あん時ね、
あんたの顔の横に女の子の顔が見えたんよ。
目を閉じた女の子の顔が・・・」

姉が続きを言いかけたとき
母親がさえぎった。

「もう止めなさい。
先生にお払いしてもらったんやから
もうそんな話はせんでもええやろ!
どうでもいいことやわ。」

それから新幹線の駅まで
タクシーの中はみんな無言になった。

さっきの先生が言った女の子、
ネーちゃんが見えたという女の子、
それは俺があの公園で見た女の子のことなのか?

いや、あれは確かに本当の子供だった。

人間以外の何者でもなかった。

じゃあ別の子供が俺に憑りついていたのか?

家に戻った翌日、
市内中の花屋や農家を父親が車で回ってくれ
やっと白南天を手にすることができた。

あの女性オーナーの先生に言われたとおり
ベランダに白南天を置き、
毎朝家族で手を合わせた。

1週間後、
俺の咳はピタっとおさまった。

「いやーこんなことってあるんやな。
あれだけ色んな病院に行って直らんかった咳が直るんやからな。
不思議なこともあるもんやわ。」

日ごろ信仰心のかけらすらない父親も
さすがに驚いていた。

母親も涙を流して喜んだ。

その翌年俺も無事進学ができ上京、
大学卒業後東京で就職、
毎年盆正月には実家に帰省している。

俺の部屋も姉の部屋も
当時のままにしてくれている(姉は嫁に行ったけど)。

その後本日に至るまで喘息のようなものもなく
すっかりあの時のことを俺は忘れていた。

そして去年の夏のこと。

帰省中の俺は高校時代の友達と飲みに行き
結構酔っ払って実家の自分のベッドに倒れこんだ。

そのとき酔いの中で
なぜか数年前のあの女の子のいた公園の情景が
頭の中に浮かんだ。

その瞬間、窓ガラスに

「バンッ!」

という音がした。

びっくりして窓ガラスの方に顔を向けると、
小さな両手のひらが張り付いていた。

『うわー!』

俺はマジでびびり
タオルケットを頭から被った。

しばらく布団の中で震えていたが、
思い切ってタオルケットから顔を出し窓を見た。

手のひらはもうなかった。

それでも怖くて
もう一度タオルケットを頭から被った。

翌朝、
目が覚めたときはもう昼に近かった。

ベッドに横たわったまま

『昨夜の子供の手、
ありゃ夢だったのかな』

俺はそう思った。

いやそう思おうとした。

そして立ち上がり、
窓ガラスに近づいた。

そしてそれを見た俺は
夏にもかかわらず寒気がした。

窓ガラスに小さな手のひらのような跡が
2つ残っていた。

両親は外出していた。

俺はあわてて姉に電話をした。

昨夜のこと、
そしてさっき見た窓の手のひらの跡のことを
一気にまくし立てた。

黙って聞いていた姉は
搾り出すような声でこう言った。

「あんたに前に憑いていた女の子、
また戻ってきたかもしれんね。」

「えー!そんなことってあるんか?
だってお祓いしてもらったやんか!」

俺はあわてた。

「・・・うん・・・でも何かまた戻ってきたような気がするわ。」

「だったらネーちゃんさぁ、
またあの先生に頼んでくれよ。」

「・・・いや先生は・・・去年亡くなったんよ・・・」

俺はしばらく絶句した。

そのとき突然あることを俺はひらめいた。

この言葉が何か解決につながるんじゃないかと。

「ネーちゃん。
変なこと聞くけど
魚へんに右て書いて何て読む?」

「・・・あんた・・・大丈夫?
・・・父さんや母さん横におるん?
・・・大丈夫なん?
あんた・・・それともふざけとるん?」

「いやおらんけど・・・ふざけてもないよ・・・
で、何て読むんや?」

しばらくの沈黙の後、
姉は涙声になっていた。

「・・・あんた小さいころその質問いつもしとったね・・・
何で今またそんなこと聞くん?」

俺がその質問を小さいころしていたって?

「・・・何回も何回もあんたがしつこいくらい聞いてきて
私が『わからんっ!』言うたら
何日か後あんた何て言うたか覚えとる?」

「・・・」

「『魚に右って書いて・・・へび・・・て読むんや』て言うたんよ」

「・・・」

「そうあんたに言われた後、
母さんに『そんな字あるん?』て聞いたら
『そんな字ない、間違いや』て言われたわ。」

「・・・いや全然覚えてないんだけど・・・」

「母さんにそう言われて私あんたに聞いたんよ、
誰にそんな嘘を教わったかって」

「・・・」

「何か知らん女の子に教えてもらったってあんた言いよったわ・・・
ん?・・・もしかしたら?・・・あんた!・・・へび・・・女の子・・・」

その後の姉の言葉は覚えていない。

俺は絶望的な気分になり
窓ガラスの手のひらの跡に目をやった。

でもそこには手のひらの跡はもう消えていた。