かなり前のことですが、
私は当時高校生で、
母と犬とで車で近場に買い物に出掛けていました。

帰り道、犬が鳴き始めたので、
少し散歩させようと車を止めました。


ふと横を見ると、
いかにも村のお社といった雰囲気の神社がありました。

周りはごく普通の住宅街で、
母はその辺りを犬を連れて歩いてくると言うので、
私は神社を見てくることにしました。

神社はこざっぱりとしていて、
雰囲気も静かであたたかく、
きれいに掃除もされていました。

社務所は無く、
参拝客は私以外はいませんでした。





二十段もないような石段を登ると、
石段の一番上に小さな紙が落ちていました。

なんだろうと思って拾ってみると、
そこには印刷で短い祝詞が書かれていました。

シンプルな短い祝詞で、
覚えやすくて気に入ってしまい、
私はその紙がとてもほしくなりました。

落ちていたものだしいいかな…とも思ったのですが、
持って帰るのは盗みのような気がして、
紙はしばらく眺めて祝詞を覚えた後に、
賽銭箱の近くに置いておきました。

お参りを済ませ、
私は神社の建物が見たくなり、
社殿の横に回りました。

拝殿と本殿の間は渡り廊下でつながれおり、
その渡り廊下の横に行くと本殿がよく見えました。

人もおらずゆっくりと見ることが出来て、
わあ、こんな風になってるのか、
と私は喜んで眺めていました。

そして、ふと渡り廊下の向こう側を見た時、
何故か、その渡り廊下を横切って向こう側に行かねばならない、
というような気がしたのです。

自分でも意味が解らなかったのですが、
ともかくこの渡り廊下の手すりをよじ登って越えて、
渡り廊下を横切らねばならない、
なんとしてもそうしなければならない、
という思いに駆られたのです。

しかし、渡り廊下は神様の通り道のはず。

横切るなんてまずいんじゃないのか。

そんなことを考えながらも、
私はいつの間にか手すりに手を掛けていました。

妙に頭がぼーっとし、
周りの音が聞こえなくなりました。

『ほら、ここには誰もいない、
周りは杜だから外からも見えない。
この渡りの手すりをよじ登れば、
真正面から本殿が見られる。
なかなか見られるものじゃない。
神様と同じ視点だぞ…』

と、何故か心の中で強く思いながら、
私は手すりに足を掛けてよじ登り、
渡り廊下に立っていました。

と、その時。

母が神社の外から呼ぶ声がしたのです。

私ははっと我に帰りました。

見れば、神社の渡り廊下に突っ立っている自分。

外からは母が、
姿の見えない私を心配して何度も呼んでいます。

私は急に怖くなりました。

母にちょっと待ってと返事をし、
ちらりと本殿の方を見てから、

私は入ったのとは反対側の手すりを乗り越え、
渡り廊下を横切りました。

こうなったらいっそちゃんと横切ってやると、
負けん気が起きたものですから。

神社の裏側から出くると、
母が入口で心配そうに待っていました。

犬は母とは対照的に、
のんびりと座って待っていました。

気になって振り返ると、
賽銭箱の側にきちんと置いたはずの祝詞の書かれた紙は、
何故か最初の石段の所に戻っていました。

なにがなんだかよくわからないまま、
一ヶ月ほど後のことです。

再びその神社の前を通ると、
ちょうどお祭りをやっていました。

この間のこともあったし少し気になって、
私は神社に寄りました。

たき火をしていたので、
参拝の後にあたらせてもらっていたら、
横にいたお爺さん達が話しかけて来たので、
おしゃべりしていました。

お爺さんは地元に長く住んでいる人だというので、

「叱られるかもしれないんですけど」

と前置きして謝ってから、
お爺さんにこの間の渡り廊下のことを話したのです。

するとお爺さんは、

「久しぶりにそういう話を聞いた」

と言い出しました。

なんでも、そこの神様は悪戯好きで、
昔は時々人引っ張り込んでは、
ご神木に登らせたり、
神楽の舞台に上がらせたりしていたそうです。

「あんた真面目そうだし、
神様にからかわれたんだなあ」

と、お爺さんは笑いました。

帰る前に、前に覚えた祝詞を唱え、
お爺さん達からお餅を貰って帰りました。